コミュニケーション

コミュニケーション

 






さてと、 今日は日曜日、昨夜はW-杯、調子にノッテ観てたから、すっかり寝不足の朝だったよ。日本も、ひいきにしてた、ポルトガルも居なくなっちゃったから、ツマンナインダケドネ・・

実は、オイラね、某大学の経済学部のゼミ生に、登録させて、もら2010_06110004.JPGってるので、今日は久々に、出向いて行ったよ。  行くたびに、久々なんだけど、いつも、教室のみんなが、温かく迎えてくれるんだよね^^@

ありがたいっす<m(__)m>  今日のテーマは 「ギリシャ・ショックと、コミュニケーション」  なんだか、関連性はなさそうだけど、 この、コミュニケーションって言葉が、 キーワードなんだ。

  

2010_06110009.JPGの国の経済をを改善するということは、
コミュニケーションを改善していくこと
そのものだなという事だった。

人生がいい方向に変わったり、よくなったり
するきっかけは、自分の中のコミュニケーションが
変化した時だということ。

例えば、今まで出来ないと思っていた事に対して
『できるかも』と思えたり、『出来る』、『できた』
と思えたとき、

可能だと思っていた限界が大きく広がった時

2010_06110014.JPG物事を見る見方や、考え方、価値観が変わった時、
つまり、フォーカスや焦点が変わった時

つまり、自分自身とのコミュニケーションが何かの
きっかけで大きく書き換わった時、人生が変わる。
 そして、その集合体として その国の経済が発展していくという話だった。

今、選挙の真っただ中だから、特に、面白かったよ。^^v  

経済に限らずなんでも、そうだよね・・・・

得たい結果を手に入れるには、

『他人にやってもらうか』

『自分自身にやってもらうか』

の二通りしかない。

2010_06110017.JPGしかし、他人にやってもらうにも、まず、
お願いしたり、指示したりするのは、自分なので、
全てにおいて、最初は自分から始まる。

そして、自分が何をどこまでできるかは、
実は、自分の思い込み次第だったりするんだよね。

人間ってやつは、臆病なもんで、

『できない』
『わからない』

といった言葉で、自分の可能性を制限してしまう。

本当は、自分の中には無限の可能性が眠っているのに

『できない』
『わからない』

という言葉を使うと、それ以上のチャレンジや
学習はストップしてしまう。

この言葉を使わないだけでも、大きく自分との
コミュニケーションを改善できる。

2010_06110003.JPG コミュニケーションって言うと、他人との間に発生することって、先入観があったけど、

今日、「まずは 自分自身とのコミュニケーションなんだな・・って」 ドカン!と来たよ。

とは言っても、これまでのクセで、ついつい

『できない』

『わからない』

という思い、言葉がわいてくるんだよなー。

そんな時ときこそ、『自分への質問』で焦点と、自分自身との
コミュニケーションを変えるしか、ないよね。

うん、ここがポイントだ!

例えば、

『自分は何を恐れているのだろうか?』
『最悪の事態はなんだろうか?』

と質問すればいいや!

『できない』
『わからない』

という思いがわいてくるウラには、何か恐怖や不安が
隠れて2010_06110007.JPGいて、そこから逃げるための言い訳だと、確信してるよ。 オイラ・・よく経験するもん。

それは、過去の痛みとなっている経験だったり、
失敗への恐怖だったり、

その不安や、恐怖を明確にし、直視することで、
はじめて一歩前に進むことができたりするんだ・・・・・・。

これは、とってもシンプルな自分自身との
コミュニケーションの改善だ。  うん、自分自身 納得したぞ^^p

2010_06110016.JPGて お昼休みはね、 同じ教室の F君、S君と行きつけのラーメン屋さんに入ったよ。2人とも21歳なんだ。 ヤングパワーとも、コミュニケーションとっておくと、結構、刺激的だよ。

 

2010_06110019.JPG

 

 

これは 大学のすぐ近くの写真・・

ちなみに、エッフェル塔じゃあないからね^^!

「コミュニケーション」へのコメント

師匠 今回は、若い学生さんに交じって ゼミに参加し、日ごろの視点と異なった
ところからの 話を聞いてリフレッシュされたみたいですね。 
オイラは、ゼミと聞くと体か違った反応をするんだよ。 学生時代に、ゼミ室に入ったとたん 教授から超意味不明な質問が矢継ぎ早に飛んでくるのだが、もたもたしていると
すらすら答える奴がいるのだ、これまた恐怖。
話は変わるけれど、今日の師匠のブロッグで大発見!
師匠にも『出来ない』『わからない』と言う思いが出てくるなんて 想定していなかったネ。
東京タワーも単なる異物になる時が目の前まできているのだ。 
20世紀の化物として生きているのではなくて 21世紀の新しいものにワクワクする
人生を過ごしたい。デジタル時代に隠れた素晴らしい未来をーーー。
手術も 充分経験と知識を持った医師の指示でロボット(デジタルマシーン)が次から次に実施していく姿なんて 19世紀に想像できた?

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2010年7月4日

         

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