YASUHIRO 兄(にい)

YASUHIRO 兄(にい)

P1080790.JPGヤスヒロ兄貴は、実際はオフクロの弟なので、オイラのオジサンに当たるんだけれどね、小さい頃から、かなり年上の兄貴という感じで慕って来たんだ。 
 10年以上に渡り、藤沢市民病院長として、ガンバッテキタんだけれど、この3月に定年退職(65) したのでその「退職祝い」を、親族で開いたッつーわけね!
  
場所はおきまりの「銀座アスター」なんだけれど、ちびっ子たちから花束贈呈なんかあったりして嬉しそうだったよ。  
 ヤスヒロ兄貴夫妻を含め20人以上集合したんだ。

 うん、さすがはYASUHIRO 兄(にP1080793.JPGい)だな。 
 ただもう、次のところで働いているんだよね。 すぐに引き合いがあったみたい(^_^;)

デモね、9時AM-5時PM勤務で検診主体、週休3日ということで、「時間が余っちゃって何をしていいか、わからないんだよー」なんて贅沢なこと言ってましたなぁ。

 デモ、今までの重圧から解放されてホッとしているみたいね。 だって市民病院ってスタッフが1000人とかいるっていうんだよ。
P1080739.JPG何かあったら、すべてトップの責任ということになる。
どうやってコントロールするんだか???     

それを考えると トヨタの豊田章男社長とか、どうなっちゃているんだろうなー。 
 最近も、女性幹部のことで謝罪会見してたしね。

さてと、今回も司会は、オイラでさ、サクサクP1080794.JPGやっといたよーん。
 とにかく、兄(にい)お疲れさんでやんした。<(_ _)>
そして、兄(にい)を支え続けているリュウコさんお疲れさんでした。<(_ _)>
 
 食事はたいしたことがなかったけれど、紹興酒は美味かった(^^)/

しかし、YASUHIRO 兄(にい)も、いそがしいなー。

 元に戻ってやり直すことは誰にもできないけれど、今、ここから出発して新たな結果を生み出すことは誰にでもできるからね。
P1080776.JPG
それに、豊かな人生の秘訣は「終わり」より「始まり」をたくさん体験することだもの。
だから、「退職したのだから、ゆっくり休んでればいいのに・・」なんて言うのは、無責任な余計なお世話でしかないんだ。
 
石工がハンマーを、振るい、岩を割る姿を目に浮かべてみる。100回叩いても、ヒビさえ入らない。
しかし101回目には2つに割れる。それはすなわち、最後の一撃ではなく、その前P1060728.JPGの全ての打撃の成果でしょう。
“ローマは1日にしてはならず”だよね。  

一流のミュージシャンは、ほぼ全員、いったん完成すると、自分のアルバムはもう聴かない。
完成までの長い制作過程で何百回もくり返し聴く作業が必要だから当分聴きたくないと思っても不思議じゃあないよ。
やり直したい箇所を見つけると切りがないから敢えて封印してしまう人も少なくないんだ。

自分のアルバムを聴いて悦に入るのはプリンスだけだP1060727.JPG(古いかな^^)というジョークがあるくらいね。
 
自分の過去を振り返るのと、歴史を学ぶということは全く違う。 オイラも、数年前までこのことを、まぜこぜにしていて歴史に全く興味が持てなかったんだ。

失敗する最大の理由は、過去の成功体験が忘れられないからだ・・というのが音楽業界の標語のようになっている。

「自分の古い作品は、もう聴かない」というルールを破ると、ミュージシャンでなくなってしまう。
創作することに興味を持たない自己満足の懐古主義の愚か者に過ぎなくなる。
人生は過去を考えるにはあまりにも短い。
未来に目を向けた方がいい。
YASUHIRO 兄(にい)も、まだまだ、終われないんだね、 Be happy !

「YASUHIRO 兄(にい)」へのコメント

創作することに興味を持たない自己満足の懐古主義の愚か者とやらに、ならないように、しませんといけません。
 私は55歳で会社の早期退職制度により、退職しました。会社にしがみ付きたくなかったからです。今、一年間の充電期間です。その途中でこのブログにも出会いました。私もまだまだ終われないのです。

名古屋のホテルからです。眠れぬ夜に、更新されていて幸福です。わたしも学生のときに、作曲の真似事をしていたときがありました。ミュージシャンの話、とてもよく理解できました。

SY牧場のゆーこです。只今、起床しました。
わたしは藤沢市民病院に知人が入院していたので、行ったことがあります。兄さんと、しては、随分歳が離れていませんか?わたしも一人っ子なので上が欲しい気持ちはよくわかります。

師匠のお父さんにも 最後までお世話になったけれど 藤沢市民病院も全く初期の時代にオイラの長女の出産で始まり オイラ自身も 救急病棟にもお世話になった あの当時は ちっさな病院だった 長後からタクシーで500円の時代 
オイラ一家は 城戸親族に(お母様にも 妹さんにも)助けられ今日まで生活している
きっと 市民病院には 元院長によって技術を伸ばし一人前の医師として教育した医師が大勢いて 叔父さんは クライアントからも 同僚の医師仲間からも慕われ退職を惜しまれているんだろうと信じて 疑わないね こんな人には ご苦労様でしたの言葉は 今言う事ではないのではないだろうか?
日々進歩する 医学界の現場で 新しい症状のクライアントを目の前にして 解決策に悪戦苦闘されるのだろうな でも それが 医者冥利というものかもしれない
ところで オイラの師匠は 何処へ向かって残り半世紀を過ごされるのか なんだか こちらまでがわくわくする ゴールを 開示しないのがいい。

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2015年6月26日

         

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