剣道の全国大会は連覇が最も難しいと聞きます。
日本一難しい試験も剣道8段の昇段試験らしい。
ただ「強い」だけでは得られない8段!そして「強さ」は測定する事が出来ません。
対戦相手を研究し・・・とは良く聞く言葉ですが、こと剣の道では違う考えもあるようですね。
家光と柳生の話。
「お前ほどの剣の達人なら、降り注ぐ雨さえも濡れずにやり過ごせるのではないか?」と聞かれた柳生の当主が「それではお見せしましょうと言い、ずぶ濡れになった後・・・いちいち変化をする相手に合わせていたら、いつか必ず切られてしまうでしょう。己の剣を常に信じて対峙するのみです。」
と語るくだりが、自分は大好きです。
双葉山の連覇が途切れた時の一言
「未だ木鶏たりえず」
と安岡正篤に電報を打ったのはご案内ですが。
乱れぬ「気」が大切なのですね。
いつも素晴らしいブログをありがとうございます。
武道・・・
オイラの行っている、いわゆる床屋さんの若い兄さんは、無類の小説好きらしいんだ。神奈川大学出てから理容師になったって言ってたよ。
なにせ幼稚園のころから本ばっかり読んでいたとのこと。今も、日曜・祝日以外は、暇なので、空き時間に小説読みあさっているんだってさ。一日2冊のペースというから、それはそれで、すごいよな〜。
オイラも、ヘアーカットするときには、必ず小説持参なので、どうやら、その、兄さん、オイラも同類と思っていたらしく、やたら、小説の話をふってくるんだよ。 それでね、オイラ聞いてみたんだ。
「今までで、一番の本はなんだった?」 って、
・・・・そうしたら「 ソウカクルロウ」・・と即答!
『なんだそりゃ〜』オイラは知らなかったんだ。 悔しいから詳しく聞いてみて、さっき読み終わったよ。
『惣角流浪』と書くんだ。
触るだけで相手を投げ飛ばす・・・大東流・合気道の創始者である武田惣角の修行人生の半生記だ。 それはそれは無骨な半生記だよ。
「進む道は武芸なり」の信念のもと、武士の世が終焉を迎えた維新後も、ただひたすらに修行に励んでいく。 ここには、後の講道館柔道の創始者との対決や、琉球空手の名人との命がけの闘いや出
逢い、西郷隆盛とのひとときなどがある。
明治という激動の時代を、合気の道を究めることだけに捧げた、壮烈なドラマ展開されている。
会津の武田惣角・・気を合わせる事で、相手の力を利用して一瞬にして投げる。
今日は丁度、全日本剣道選手権の日だったんだ。
いわゆる剣道日本一を決める大会だ。
オイラも小学校と高校で剣道をやっていたもんだから、このマイナーな大会はオイラにはメジャーなんだ。 NHKでTV中継されているので、クイルように見てたよ。
今年も、去年に引き続き、神奈川県警の
高鍋6段が二年連続優勝した。 最後の決まり手は「 両手突き」 。実に鮮やか
だった!!!
高鍋選手の得意技は”高速ーメン”なんだけど、突きも高速で、一瞬で決まってた。 オイラだったら5秒ももたないな・・・ とにかく、本当に速くてTVでスロー再生されても、尚、速く感じるもの。
見ているだけで、背筋がピンと伸びるよ。 「道」を極めようとする人たちは、殺気さえ感じる。
高鍋選手の目を、放映中に、面の奥にみる事ができたんだ。 まさに、鷹の目だった。
武道とスポーツの違いを見た気がしたよ。
高鍋選手は 真剣で試合をしているイメージなんだと
思ったよ。 打ちこまれれば、自分は息絶えるという、覚悟のもとで剣を握っていた。
合気道の惣角も常に、命がけで、実際に時代的背景もあって、命を何度も失いかけてきている。
道を極めるこころ・・・・
こんな時代だからこそ、オイラも、稲村ヶ崎の高野道場に通っていたあの精神を忘れてはならないんだ。 無骨でいいんだ・・。
ただ ひたすらに・・・・
「武道・・・」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2011年11月3日

維新と呼ばれた明治の初期、武士の世界が崩壊し、外国文化が怒涛の如く押し寄せてきた時代に生きた人々の話。今のオイラには何か引き付けられるものがある。目の前で官軍に敗退する姿それは自分達の親が生きてきたものが破壊される惨めな姿、しかしそこに次世代の新しいものを感じていた子供達それがオイラたちの今を構築してくれた人々。悩み悶々として生きていた空気を感じる。でも今と違うのは礼節を重んじる心を失ていない彼ら。相手を尊敬する心があったように感じる。平成の今、次世代に胸を張って引き継げるもの 何があるか? 日々考える今日この頃。今回のブログの武道の話から感じたこと。