〒252-0807
神奈川県藤沢市下土棚540
小田急線長後駅西口下車徒歩5分
受付: 9:00?13:00/14:30?18:30
(土曜は17:30まで)
休診日: 木?日曜?祝日
TEL: 0466-45-4420
ウッス! 所属団体の取材で、オイラの街のプラネタリウムに行って来たんだ。 あやうくフォークダンスの取材を押しつけられそうになっと所を、「宇宙小僧のオイラにフォークダンスはないだろう?」って事で、プラネタリウム係をブンドッタ(^^;) ・・・
近所の読者のみんなは知っての通りだけど、、まあ、北海道の読者もいるし、紹介するね!
オイラの街には変な建物があるんだ。
この湘南台文化センターね! プラネタリウムなのは解っているんだけど、あまりにも近すぎて行かないんだよね。 まあ、今回は、取材と言うことで行ったんだ。
結構、面白かったー!シートがリクライニングなので、とっても快適!
毛利さんの写真が掲げてあってさ、なんだか感無量・・
オリンピックにちなんで、「宇宙オリンピック」なんて企画がやっててさ、宇宙クイズみたいで、まさに、オイラのテイストだっだぜー!
例えばこんな感じね・・ 次のエントリーした選手のうちで、一番直径が大きいのは誰でしょう?
1,水星くん 2,月くん 3,土星の衛星タイタン さん 4,冥王星ちゃん
答えは、3,の土星の衛星タイタンさんね・・衛星のタイタンが、惑星の水星より大きいッテ、意外なんだけど、まあ、だから問題になるってわけね(^^)/・・
宇宙小僧のオイラは枕元に宇宙関係の本が散在しているから、これくらいなら、余裕よゆ〜う(^_-)
それに、JAXA発行の冊子まで、もらえるなんて、うおーーーー!来て良かったー!
毛利さんが、地球に帰還したときに
「宇宙からは国境は見えない」って言ったんだ。
当時、オイラの胸を、ズキューンと突き抜けたもの。
ところで、未だに、勘違いしている人が多いんだけど、日本人で初めて宇宙に行ったのは毛利さんではないんだ。
もともと毛利さんが、1988年に宇宙へ行く予定だったんだけど、1986年にチャレンジャー号の空中分解の事故があって毛利さんの搭乗が延期されたんだ。
そうこうしているうちに、TBSが、1989年に宇宙ステーション・ミールを訪問する協定をソ連宇宙局と結んだんだよ。
毛利さんのNASAによる、初搭乗が1992年にのびっちゃってる間の1990年のこと・・・
ジャーナリストの秋山さんが、ソ連のソユーズに乗って宇宙に行ったって訳なんだ。 そんなことで、日本人初の宇宙飛行士は秋山さんなんだね!
その第一声は、ソ連との交信中に突然問いかけられ、「これ本番ですか?」のワンフレーズ・・・・
やっぱり宇宙飛行士と言うより、根っからのジャーナリストだね!(笑)
ただ、 オイラもそうだけど、宇宙飛行士って言うと、どうしても
毛利さんのイメージが強い!
まあ、分類すると、毛利さんは日本人初のアストロノート(アメリカで訓練を受けた宇宙飛行士)であり、秋山さんは日本人初のコスモノート(ロシアで訓練を受けた宇宙飛行士)ってことなんだ。
毛利衛宇宙飛行士が搭乗したのは
「スペースシャトル・エンデバー号」
毛利さんは周囲のハエのような雑音・・「誰が宇宙に先乗りしたか・・」という論争には、一切興味を持たず、まさに飄々とした態度を貫いていた。
しかも、毛利さんは搭乗科学者としての実験を行うだけではなくて、こども達と直接やりとりをする宇宙授業をやったんだ、 リンゴの皮や紙飛行機が、宇宙空間の中でどうなるのか、
錦鯉の宇宙酔いの様子を示した、トビッキリノ授業内容は、
オイラの好奇心を満たしたなんてもんじゃあなかったよ!
こういうのこそ 『授業』なんだと、TV見ながらガーンときてたもんな・・・
いま、爆発的な人気を誇っている 『宇宙兄弟』も 毛利さんに憧れて、宇宙飛行士を目指す、へんてこりんな兄弟のストーリーだ! 一度観たら、すっかりファンになっちゃたね!・・・オイラも・・・ いいなー宇宙飛行士^^
そんなわけでね・・・ プラネタリウムの中で 星、見ながら、
宇宙に想いを馳せてたオイラだったよ。
秋山さんの本に、「これは、ストライクだ・・」
という ナイスな言葉があるんだ。
今になって、この言葉の大切な意味が身に沁みるんだ。
「夢を捨てないほうがいいよ。 いくつになっても、いいじゃあないか、
年齢とかさ、宇宙の規模から見たら、誤差にも成らないんだよな・・。」
『夢は捨てずに 引き出しにしまっておけば、
いつか必要になったときに取り出すことが出来るんだよ。
どうだ? もう一度やってみるかい!?』
秋山豊寛