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それでは、前号で、約束した通り、オイラの妹の江守先生への追悼文を、載せるね!
当時、妹のリエはは、19歳だった。江守先生の影響で、英語が大好きだったリエは迷わず英文科へ進んだよ!
大学に受かった時も、「江守先生が、喜んでくれる、きっと喜んでくれる・・」って、家族の名より先に、江守先生の名前が出てくるほどだった。 リエは、オイラの8つ下なんだ!
2つ下には弟のヤスタカが居るんだけど、ヤスタカ君の江守先生に対する思いは、もうハンパじゃあないよ!
兄弟一だよ! 「山手から東大理1合格者を出して江守先生を喜ばせる」って、突然宣言して、3浪したもの。
結局、夢叶わずだったけれど、両親が、「なにも、東大だけが大学じゃあないでしょう・・」ッテ、落ちる度に、説得しても、
「江守先生は、そんなことは言わない、トコトンやれ!」と・・
夢は叶わなかったヤスタカ君だけど、あれは、あれで、いいんだ!
本人も、『3浪もすると、たいていの人の気持ちはわかるようになる』。。って言ってたしさ!
社会人になってから、あの時の経験が威力を発揮してるらしいよ(^^;) ヤツの気持ちも、オイラにはよくわかるしさ・・ 江守先生って、そうなんだ・・そうなっちゃうんだよ・・・
まず意識のトップに江守先生が来ていた。みんなそうなんだ・・オイラ達兄弟が特別ってわけじゃあないんだ・・
江守先生の意志は子供達・全山手生が継承する・・
おっと、 おっと、今日はリエが主役だったね・・。
彼女がこの追悼文の依頼を受けた唯一の卒業生であったことは、
今でも、オイラにとっても、ヤスタカにとっても
もちろんリエにとっても、とてつもない誇りになっている!。
江守先生がお亡くなりになった時、私は初めて先生がキリスト教徒であった事を知った。先生には、お説教めいたところは全くなかったし、「愛」とか「平等」等の言葉をお口ににした事は一度もなかったからだ。
しかしそれでいて先生は、今振り返ると、キリスト教的な厳格な精神や、万人への愛というようなものを実践した方だったと思う。
先生から教えを受けた期間は本当に貴重なものであった。形として教わったのは、英語という一教科だったけれど、実際教わったことは英語のみに留まらない。 最初の授業で、先生は英語の I(アイ) (私)についてこんな事をおっしゃた。 「英語の I(私)は文章の何処にあっても大文字です。彼ら(アングロサクソン民族)は自分をとっても大切にしている民族だから。」
先生はこの言葉を,ただ文法的説明としておっしゃたのではないと思う。私達生徒にも、自分を大切にする人間になって欲しいと訴えたかったのではないだろうか。
自分を大切にすると言うことは、自分を甘やかすことではなく、、自分を安売りしない事だと思う。つまり自分自身に厳しくし、努力して誇りを持てる自分になることである。
こう言う意味で、先生は自分を大切にしている人だった。それは先生の仕草やお言葉の端々から伺うことが出来たものだった。
授業開始二、三分前には私達の教室のある階下に降りていらして、鐘が鳴ると同時に教室にお入りになり、授業を始める。遅れて終わることはあっても、鐘が鳴る前に終わった事は、ただの一度もない。一分、一秒、決して無駄にしなかった。
だから授業中の先生は、自分に対しても、生徒に対しても非常に厳しかった。私語はもちろん、アクビを、する事すら許されなかった。アクビをしている生徒に向かって「アクビ御遠慮」と指示して注意するのは、生徒の間では有名な文句であった。
しかし、このように厳しかったにも拘わらず、どうして私の心の中にはこんなにも温かい、懐かしい先生のお姿があるのだろう。
それは先生が、私達全員に隔てのない愛情を与えて下さったからだと思う。そして私達山手生を、どんな時にでも、誇りに思って下さったからだと思う。
先生のところに行くと、先生はいつも、温かく迎えて下さり、帰りには私達は何らかの希望を抱いて帰ったものだった。
先生の病床へ初めてお見舞いに行った時、私はとてもショックだった。「意志のある所には、道があり」というような姿勢で、人生に立ち向かっていたあの元気な先生が、選択の余地のない境遇にいたのだから。
それでも、先生は臨終間際の声が出なくなる時まで、「私は大丈夫。すぐ良くなって学校に戻るから。」とおっしゃっていた。 せめてあと一度教壇に、お立ちになってもらえたなら、・・・・・・・と痛感したものだった。しかし先生はもうできることはやったのだ。十分過ぎるほど、一生懸命尽くして下さった。
今度は私達生徒が先生に尽くす番だと思う。
私達にできる事は、先生から受けた教えを、少しでも活かす事なのだ。だから私も、自分にムチ打ちながら、人生を築いていくんだ。
さようなら せんせい・・
本当に本当に、ありがとうございました。
前に、進んで行きます 。 決して決してあきらめないで、・・・・・
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
平成元年度卒業
津田塾大学英文科一年 城戸 里枝
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