ちょいと ウエノへ・・・

ちょいと ウエノへ・・・

P1090530.JPGもう、雨やだなー毎日ジャン。
日曜日に半日ほど晴れたあの日が最後の夏だったのかな!

都美(東京都美術館)で、佐伯、藤田、岸田のオイラの好む画家たちを一挙に集合させて展覧会をしてやっているって言うので、行ってきたんだ。
 というより、やっと時間がとれたー(^^;)ie–i

 「伝説の洋画家たち」というタイトルだったけれど、 
これって決して大げさでは無いんだ。
P1090544.JPG
佐伯、藤田なんて日本よりパリでの方が名が通っているよ。
やっぱり美術的空間はオイラに魂のそよ風を与えてくれるよ。  空気が美味いモン!
 
しかしウエノの 美術館広場にはたくさんの食べ物屋さんが来ていたね。 まだ夏の雰囲気を背負ってね。 
 お気に入りの絵に囲まれていると鋭気が養われるよ。 
 パワースポットなんかよりヨッポド効くね!
P1090540.JPG
特に藤田はパリの寵児とまで言われた男。

面相筆による線描を生かした独自の技法による、独特の透きとおるような画風はヨーロッパ中を席捲したんだ。

佐伯、藤田、岸田、その他の伝説的な画家たちは、
みな、餓えていた。
P1090534.JPG
普段の食事を例にとってみても、
「自分が何が食べたいかわからない」と感じるのは、本当の意味でお腹は空いていない。 

現代において「飢え」を経験した人はほとんどいない。
 ほとんどの人は、子供の頃から食事の時間になったらなんとなく食事をしてきた。 

餓えてひもじいから食事をしてきP1090552.JPGたのではなく、
食事の時間になったからなんとなく食事をしてきたにすぎないんだ。
 
豊かさと引き換えに「食べたくて食べたくて必死で飯を食った」という経験を失ってきた。

だから、「自分が本当にしたいことは、なんだろう」というとても大切な疑問に答えられないのは、「何となく時間を潰してきたから」にほかならない。

いま、暇つぶしがたくさんある世の中でしょう。
だからなんとなP1090554.JPGく時間を潰すのとてもイージーな事なんだ。

「自分は本当は何がしたいんだろう?」なんて本気で思う事もなかったんだよ。  
当然、自分の本当にしたいことがわかなければ、
「自分にとって幸せってなんだろう」という疑問にも答えられるわけがないね。
 
その点、画家たちは餓えていたよ。 
 ほぼ全員がギリギリの境界線で生活していた。
その中から、本当に描きたいものが絞りだされたんだ。 
 だから魂に刺さるんだよ。

P1090560.JPGひとは偶然に「飢え」を経験して食を鮮明にイメージすることがある。 
山で遭難したときとか、無人島に漂流したときとか・・・・こんなときは 「自分は何が食べたいのか」と言うことが明確に成ってくる。

空腹すぎて妄想が止められなくなり食べたいものを
ハッキリとイメージすることが出来る。

「自分は何がしたいのか?」という質問に対してもおなじ事。
 要するに意識的に「餓えて」みればいい
 P1090551.JPG
中途半端に退屈を解消してくれるものから一定期間距離をおいてみればいい。

ネット環境や携帯、TV、マンガ、友人やあらゆる
「退屈を紛らわしてくれるもの」
から離れればいい

そうすれば必ず見えてくる。   
 気づいたと思うけれど、「孤独はイヤだ」なんて言っているひとは、結局、 中途半端に紛らわして終わることになる。   

これは先人達によって証明された。
自分に勝るデザイナーはいないよね。
自分自身のものの見方を支配すれば、自分の人生も支配できる。
 

「ちょいと ウエノへ・・・」へのコメント

SYのさゆりです。
意識的に「餓える」
中途半端に退屈を解消してくれるものから一定期間距離を置く。
この「飢える」感覚こそ、今もっともわたしにとって必要なことなのかもしれません。

空腹すぎて妄想が止められなくなり食べたいものを
ハッキリとイメージすることが出来る。
なにか今後のヒントになりそうです。

佐伯祐三が、好きです。理由はないのですが、感じるものがあります。  この時代の画家たちは本当に素敵な人たちが多いです。

雨、今日も雨です。 今日は会社が休みになりました。久しぶりに読書でもして過ごそうかと思っています。東野圭吾の「流星群の絆」を読むつもりです。
 雨の日、自分の部屋にいても違った世界を想える読書って素敵です。

豊橋はようやく晴れ間が見えてきています。
 藤田嗣治がレオナール・フジタと同一人物だとごく最近知りました。姉が好きで画集があるのです。
 「退屈を紛らわしてくれるもの」から離れればいい。とのアドバイス、ここがポイントだと思いました。

SY牧場のゆーこです。大塚さんのハンターの更新がなくてとても心配しています。 教も雨ですが 雨ニモマケズ風ニモマケズで乗り切っりたいと思っています。栃木に親戚がいるので電話したらつながりませんでした。

師匠の 書かれた「退屈を紛らわしてくれるもの」から離れる実体験を5日?10日迄実践してきた
テレビもない 図書館もない 映画館もない 山の中のすみかに滞在していた  滝のような雨 木々がきしむ真っ暗闇の夜 雨が止んだ朝の木々の間からもれてくる 光 全てがオイラを新鮮な感覚にしてくれた 
日ごろ一切気にもしていなかった 大木の枯れ枝の手入れや 何年間もかかって降り積もった落ち葉それらを金属の熊手で掃き集め 土が出てくるまで夢中になってやっていた自分は 今までに誰にも見せなかった姿 見せなかったというよりは やったことが無かったからだろう
この体験で 急に思考回路が変わったのに 気付いた
理由はわからなかったし そんなことを追求しようとは これっぽちも考えなかった
『原始日本人の持っていた 思考回路というものは どんなのであったのか』こんな事に 物凄く 興味がひかれた
敗戦による 自信喪失 ゲルマン民族の血をひく 民族の思考に何の疑問もなく 追随していた 時間 日本語か?英語か? カタカナ語? 
こんな混成語?で会話になっているのか? 
お互いが相手の言っていることを理解出来ているのか?
たった100年ぐらい過去の書物も読めない丈でなく その当時の使われていた言葉の真意を理解できないようになっている自分に 何とも違和感を感じていないのに 驚いた 祖先の苦労の上に今の自分があるなんて考えていないから平気で過ごせるのではないだろうか?
例えば 電車に乗っていて次の駅の案内・乗り換えの案内を日本語で聞いている時は違和感がないのに 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2015年9月9日

         

PAGE TOP