3 人のヒカリ

3 人のヒカリ

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の、発光ダイオードの博士たちの功績を記念して、
「ヒカリ展」 がひらかれているだ。 それならば、寒さに負けてはいられない。

でもってバックアップ団体がこの3つ。
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JAXAと国立天文台が関わってしているんじゃあーオイラがそっぽ向くわけイカンですねん。

《ヒカリ》に関する展示なんだけれど、見たことのないものばかりだったよ。

このクリスマスツリーみたいなヤツは、光る繭(まゆ)でできているんだ。 あのカイコの繭だよ。
P1050814.JPG こっちは光る石だよ、写真で見るより実際のほうが迫力あるよーん。

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 そんでもってこっちは光る花だよ!  これもかなりマバユイんだ(*^_^*)
P1050779.JPGP1050790.JPGまーこんな具合で、ヒカリに関するものが集合していた。
なんで発光するのか不思議なものがたくさん。
魚類とかの動く生物もいたからさ、楽しいところだったよ。
宇宙関連ももりだくさんでオイラには心地良い場所だった。
 
日本人は、《働きすぎだ》って欧米人が、いよくいうでしょう。  
アメリカ民間団体の統計だと、
「人間は働きすぎてダメになるより、休みすぎてダメになる方がずっと多い」というんだね。
これなんとなくわかるね、学生時代夏休みになるとイッキニだらけたもん。
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結局、バランスの問題だよね。  
うまくバランスをとれたものが生き残る。
 
人は肯定において喜びを感じ、否定において悲しみを感じるよね。
でも真実のよろこびってやつは深い悲しみのないものには味わうことができないでしょう。
 
だから 人生無敗なんて、ありえないし、そんなこと目指してもくだらない。

3人のノーベル賞学者の人生が、パネルで紹介されているのをみたんだけれど、かなりぐにゃぐにゃだよ(>_<)   

 それでも3人とも、うまく自分の中でコントロールしてバランスとっていた。
 
広く好かれれば深くは好かれないものだ。 
わずかなことが、オイラたちを慰めてくれるのは、わずかなことがオイラたちを悩ますから・・・・・・・ここにも自然のバランスが生じている。

ダーウインの進化論で
「この世で生き残る生物は、もっとも頭の良い生き物でもなく、もっとも強い生き物でもなく、もっとも変化に対応デキル生き物だ」
  
P1050788.JPGっていう有名な真理があるでしょう。
 だからティラノサウルスも、今存在していないの
ね。
  
対応デキル生き物=バランスのとれる生き物     こういうことなのかもね。

3人のヒカリがオイラに差し込む
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こんなはずじゃあなかったのにー!
 という考えは捨てなきゃダメだってことだよ。

だって、 こんなはずなんだもん・・・
   
 物事を等身大で受け入れることが出来なくては、
次の扉は開かない!!

「3 人のヒカリ」へのコメント

 
広く好かれれば深くは好かれないものだ
のところが、気になりました。
私はfacebookで友人登録が多くなるほど、一人ひとりの関係が薄くなることに悩んでいます。オイラくんはfacebookやそれに類することをしていますか。
私はfacebook依存症というよりフォビアの段階に入っています。
 このブログのように、読んで勇気やヒントをもらえる内容なら良いのですが、facebookの10割はたわごとです。
そんなたわごとに付き合っている自分が、いやで仕方がないんです。
私にはOKの会もありません。毎日が不安です。22歳です。

JAXAと国立天文台が関係している『ヒカリ展』師匠にとっては かなり居心地の良い場所だったでしょう 容易に想像できます。
変化に対応できるという事は 『ぶれない』と対極の感じがする。
ダーウインの理論が真理なら 一番先に 現代人が滅びるのだろう
横か?縦か? 八方美人は 八方美人でしかない 薄っぺらな 深みの無い人物 ないしは 理論 哲学になってしまう。こんなこと 誰でもが経験しているのにその枠から飛び出る勇気がこれっぽちも無いから 次の一歩に進めない。 一度そんな場面にはまってしまったら 全てを放棄し 初心にかえって やり直すのが オイラは 間違いない方法だと思う 
高校生から大学生に成った頃 オイラのお世話に成った教授達から ケチョンケチョンに足元のそれまで積み重ねてきた 知識を崩され コペルニクス的転回を要求された でもそれに反論できる 真実は無く 暫く立ち上がれなっかったのを 思い出す 
その環境から這いずり出すのも 同じ教授からであったのは 物凄くラッキーだったと 半世紀程前のことを 今回のブログから 思い出させていただいた。
物事を等身大で受け入れ無ければ 次の扉は確かに開かない
開いても その場所は パラダイスではないが 努力で前進する人には 確実に前へ進んでいる実感を感じさせてくれる。
これは 体験から 間違いないこと。

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2015年2月8日

         

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