pianist ♪
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ピアニストの辻井伸行って みんな知ってるかな? 盲目のピアニストで アメリカのウ″ァン・クライヴァーン国際ピアノコンクールで 優勝したピアニストだ。
1962年から続く同コンクール歴史上、初の日本人受賞者なんだ。
もっと、シンプルに紹介すると、オイラが 現在最も心揺さぶられるピアニスト ♪ってことだよ。
この辻井伸行と 作曲家の三枝成彰さんとの関係がとても、 好きなんだ。
だからさ、 今日は この とっておきの 話を 紹介するよ。
三枝さんがピアニスト辻井伸行に会ったのは当時、彼が10歳の時、 今は20歳を超えてるから10年以上前のことだ。![]()
その演奏を聴いた三枝さんも一緒にいた作曲家の羽田健太郎さんも、とても10歳とは思えない正確な演奏に驚嘆したと言う。 (オイラも、初めてTVでみたとき聞いた時、度肝を抜かれた)
それでも、 そのころ将来プロのピアニストになりたいという彼に三枝さんが言ったのは、あえて厳しい意見だった。
「いま世界を見渡せば、君の年齢で君と同じくらいピアノが弾ける子は、おそらく1000人入るお思う。でもそれでも時が経つうちにだんだんと少なくなってゆくよ。なぜなら、みんな途中であきらめてしまうから。 それからさらに人数が減ってゆき、最後はひとり残るかどうかの厳しい世界だから、その最後の一人になれるよう、努力を続けてかなくてはならない」。![]()
厳しいけど 心ある意見だとオイラは思ったよ。実際、目が不自由だということで、最初は注目されるかもしれない、人は皆、そんなバックグランドがすきだから、 でもプロともなればそれだけでは、人気は続かないよ。すぐに 実力が問われるときがくるもの。
そこで 三枝さんは 彼に 音楽留学を、進めたんだ。 音楽留学って ものすごく、お金がかかるらしい。 ムロン 当時の辻井少年にも、その両親にも そんなお金なんてあるわけないんだ。
寄付でも募れば 集まったかもしれない、 三枝さんクラスなら ポンっと、 出世払いで 出してあげれたと思う。 でも、 それでは 将来は見えないって 三枝さんは感じたんだ思う。
三枝さんが 辻井少年に した行動が だい好きなんだ、オイラ・・・
辻井少年の音楽留学・・その少しでも足にしてもらえればと、2000年、彼が12歳の時から3回続けて、彼を主役にしたリサイタルを企画したんだ。 最初の2回はサントリーホール、そして2002年には、東京オペラシティで金聖響氏の指揮による東京交響楽団との共演も果たした。ピアニストとして、オーケストラと共演した経験があるかないかでは、のちに大きな違いがでてくると、三枝さんは考えたんだ。 ![]()
コンサートが終わったら、売り上げから実費を差し引いた金額を、辻井少年に留学資金として 差し上げた。
その後、彼は挑戦、研鑽の日々を送る・・夢を掴む為に!
そして 20歳を超えた今 辻井少年は ピアニスト 辻井伸行として 栄冠を手にし、世界に羽ばたくきっかけをつかんだんだ。
ピアニスト辻井伸行・・ 優勝の第一報を誰よりも先に 三枝さんに知らせてきたという。 そりゃーそうだよね、かっこいいよ・・!!
素敵に応援され素敵に応える・・ ふたりとも 粋だよ!
こんな、素敵な人に こんな粋な応援されてる そして粋に応える彼のピアノ♪・・ ほんとに、驚くよ・・!!
オイラが 初めて見たのは ビッグカメラの TVコーナーのところで 同時に 10台くらいのモニターが作動していたと思う。 思わず 立ちすくんだ、「なんだこりゃー・・」って・
テクニックを超えて ズンズン来た。 これからも、 彼の魅力に 触れて生きてゆきたいんだ。
魂の響きが ここに ある・・・・



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手術の日には、2度も見ていただきありがとうございました。
おかげさまで、本日は普通に生活ができました。
ところで、先生のブログを楽しみにしている1読者としてやっと読めるようになりまし
たが コメントが送れないので、ブログを読んでわくわくしている今、キャンセルされ
たコメント欄に書き入れた文章を添付いたします。
待ちに待ったブログが読めるようになりました。PIANISTの辻井伸行氏については優れ
た演奏家であることは何度かCDを聴いて知っていましたがコンクールで優勝するまでの
過程は、??? すばらしい支援の方法があるものですね。
新歯科技術に対するAggressiveな姿勢と、Clientに対する情報開示による 安心感、信
頼感。
そして、日常の内容のブログからのpositiveな明るい生き方に
勇気づけられています 過去のブログも時々読み直し自分見直しに活用させていただい
ております